はじめまして。まあまあていねいな暮らしと申します。
私は世間的にはそれなりの?バリキャリ?サラリーマンをやってきたのですが、色々な転機があり現在はのんびりフリーランスをやっております。
転機とは具体的に、こんな感じです。
- コロナにより本当は嫌だった人間関係から解放された
- 運命?の人との出会い、恋愛という競争から解放された
- 人の死に遭遇して人生の優先順位が変わった
- リベラルアーツ大学に出会って価値観が変わった
正直なところ、フリーランスになる前の自分にはもう戻りたくないです。笑
ただ、自分みたいに何かに囚われて本当は幸せじゃない、幸せじゃないことのためにそれなりに一生懸命に生きて人生を浪費している、という人はもっといるのではないかなと思っています。
そういう人が一人でも良い意味で変わる機会を提供できないかな、と思ってブログを書いています。
どういう経歴か
ざっくりと私の経歴を紹介します。
- レガシーなコンサル業界で5年経験
- 外資系コンサル・戦略コンサルなどの華やかな世界ではない(ここ重要)コンサル業界で5年勤めました。
- とにかく色々経験しました。よく働きました。年度末は1ヶ月あたり過労死ラインの2倍の残業を難なく?こなしてきました。
- 同じ業界で20年以上やっている上司の元、全て自分に任せて仕事をしてもらったことでだいぶ社会人としての仕事スキルを獲得することができました。
- 創業8年のまあまあ大きいスタートアップで事業戦略経験(スタートアップと呼べるか不明)
- ここでIT系・データ系の道に踏み入れました。
- 社内で導入しているツールを色々触らせてもらったり、SQLを教えてもらいたりしました。
- Salesforceという沼ツール(※大体多くの企業で導入しているがうまく運用できていないツール)について課題解決に奔走したおかげで、かなりSalesforceに精通しました。
- 創業3年のスタートアップで強み(SalesOps)+何でも屋経験
- インサイドセールスを1人目として立ち上げて実際の営業をする、人を雇って組織化するなどの営業マンとしての経験を積みました。
- Salesforceについてはゼロから一人で開発し、立ち上げました。
- 営業だけでなく経理周りのオペレーション整理もやりました。
- データアナリスト + コンサルタント という経験を活かし、採用データコンサルティング事業を立ち上げて一人でやっていました。
- この会社にいるときに冒頭に書いた転機が訪れました。
- 現在はスタートアップを辞めて独立。月収は倍以上に。
- プレイヤーとして独立して、1案件で月収95万円(税抜き)を受注しました。
- 一定キャッシュが確保できる状態(倹約による支出削減、コンサル案件による収入増)が見えたことで、リソースを事業に投下。
- 案件を受けつつ、新規事業作成・時間を作ってブログ記事を書いたりSNSを更新したりすることに勤しんでいます。
ちなみに元々は月給税込52万程度(ボーナスなしの年収を12で割って算出)だったので、倍になっています。どうやったかは以下の記事にまとめています。
転機とは何か 人生を豊かにするには”知識”が重要と知る
大きな転機は、リベラルアーツ大学に出会ったことです。
引っ越しを検討している時に色々調べていたらYouTubeのサジェストでこの動画が出てきました。
タイトルを見て、「そんなことあるわけないだろ」と思いつつも、寝る前にYouTubeを流しながら寝る生活をしていたので流しながら寝てみました。
結果、寝れずに1時間丸々見てしまいました(笑)
というのも、とても理にかなった話だったからです。
要は何かというと、「知識をつけましょう」といいうのがメインの話です。
- 「商売」には価格競争が存在する。
- 「知識がない人」は知識がある人に従うしかない。
- 不動産屋さんは「商売」をしている。
という、至極当たり前の話です。
例えば電気屋で値段交渉したり、転職する時に年収交渉したり、というのは私はやっていました。
でも、家を借りる時は交渉していませんでした。
なぜか。
「知識がないから」というのが僕の結論だったのです。
「不動産は僕の専門ではない」「であれば自分の得意分野の努力をしたい」と思っており、「専門外で不利を被っても得意分野で補ってあまりある成果を得てやるぜ!」と考えていたのが自分でした。
しかし、「補ってあまりある成果」が何かも定義していなかった自分は、正直なところ疲れていました。
思い返せば「知識がないから得るための努力をする」という部分から逃げ続けていたのですよね。
そういう自分に立ち向かい、変えないといけないと強く思ったのが私の転機でした。
何がどう変わったか
転機の前の自分
私はそれなりに受験成功でも成功して大学に入り、大学受験をゴールにしたこともあり留年を繰り返すも社会人になんとかなりました。
そして、社会人になってからはそれなりにまた頑張り始めざっくりとした経歴を積んできました。
ただ、私はコンプレックスの塊でした。
- 大学入学を目的にめちゃくちゃ努力をしたものの、大学に入って「ろくに勉強をせずに受験を突破する天才」「目的を持って勉強して大学に入った秀才」に囲まれることで自分の頭の悪さを痛感する
- 厳しい親・学校・会社の管理があるととてつもなく努力はできたものの、自分で選んだことについてはそこまで成果を出せないことに気づいている
- 足が遅かったこともありスクールカーストの下層におり、学生時代モテなかった
こういう自分がいたことで、「人にちょっと偉そうにできるようなラベルを貼りたがる」「モテなかったことへのコンプレックスからマッチングアプリに精を出す」みたいなものが転機の前の自分だったなと思っています。
(こうやって書いてみると、改めて「アドラー心理学」を学ぶ前の考え方が過ぎるな…と思ってしまいます。笑)
転機の後の自分
最大の天気はリベラルアーツ大学ではあったのですが、その前にもコロナが発生して生活様式が一変しました。この辺から、色々考えるようになりました。
- フルリモートワークで、仕事に対する自分の考えが明らかになった
- 仕事の中でも「自分がすべきこと」と考えるものは自宅でも何時間でも対応する
- 仕事の中でも「自分がすべきこと」と考えられないものは全く着手しない
- 緊急事態宣言で、嫌な人間関係から解放された
- 元々は付き合いの飲み会を断る勇気がなかった(断ってどう思われるか気にする・自分が行かない時に知らないことが起こることが怖い)
- が、付き合いの飲み会が物理的に減った
ここに、リベラルアーツ大学に出会い、色々考えた結果…
- 自分の人生に意味を持たせることは自分にしかできない
- 自分の人生を自分が認められるようになるには、自分が努力して学ぶしかない
というようになりました。
要は、「知識がないから」というのが要因だったことに気づきました。
ここから、少しずつですが読書などの勉強を始めたり、お金についての勉強を始めたり、仕事で独立するためにどうすべきか勉強し始めたり…という活動をするようになりました。
こういうことをしないから、自分の人生が豊かではないのだと思うようになりました。
(=自分で豊かだと定義できないのだと思うようになりました。)
と言うわけで、「自分のためにちゃんと勉強する」というように変わりました。(まだ変えている道半ばではあります…!)
終わりに
私はこんな感じの人生を歩んできました。
現在は、「自分の人生のミッション・ステートメント」に従って(できる限り)行動するという思いで生きています。
そして、具体的には以下のことに関心があります。
- 「自分が幸せを感じられるレベルで」倹約をした生活をする
- 「自分が幸せを感じられるレベルの」お金を得るために働く
- 幸福度に合わせて仕事の内容や仕事先の人を選べる状態にする
- そのために個人として独立して仕事をする
この辺について、私が一個人として頑張って行動して成し遂げる過程をこのブログに記していこうと思っています。
「自分が幸せを感じられるレベル」とは何?と思った時に、これは「まあまあていねいな暮らし」なのでは?と思い、このブログ名ができています(2021年3月現在)。
というわけで、「自分が幸せを感じられるレベル」で最大限良い人生を送れるようなライフハックや考え方、仕事の仕方などを発信していきます。
もし、「自分が幸せを感じられるレベルでの幸せ」などに共感いただける人は、一緒に頑張りましょう!
私も良い話があれば共有しますし、皆さんも私に色々教えていただければ幸いです!