先日、新卒で入社して、辞めて数年経つ会社の元上司から訃報が来ました。
同じ部門で部門長的なことをされていたり、おそらく当時の私にある程度目をかけてくれていたりした人ではあるかなと思います。
しかし、正直なところ無茶苦茶お世話になった人、と言えるかは難しいところでもあります。
そういう関係の人でもあっても、「訃報」と言うのは信じ難く、受け入れ難いものですよね。
「私にできることは何か」
そう考えた時に、思いついたのは「その人が生きた証を残すこと」かなと思いました。
これは完全に主観なのですが、自分が亡くなった時に、自分が生きた証がどこかに(例え他人に見つけてもらえない場所であっても)残っていると良いな、と考えています。
また個人としては、人の死と言うのはどうも色々なことを考えさせられてしまう面があるため、色々考えてしまうことを整理して、その人のことを思い、また自分の人生にも活かしていきたいと考えています。
ということで、その元部長との思い出を書いていこうと思います。
もしこの記事にアクセスされる人がいたら、私の元上司が生きた証の一部を思って偲んでもらえたら嬉しいです。
そして、この記事から自分の人生について考える機会を設けてもらえたら幸いです。
ちなみに、私のキャリアでいう「レガシーなコンサル業界で5年経験」という会社での上司になります。
この記事では「○○さん」と呼ばせていただきます。
どんな人だったか
建設コンサルティングという業界で、コンサルタントをしていた人になります。
ちなみに業界では「civil engineer」と呼ばれるのですが、それだとちょっとイメージが異なるかもしれないなと思ってこう書きました。
建設コンサルティング業界は多くはひとつの分野について何年も、長い人だと30年くらいコンサルタントをするような世界です。
そこで、ある分野において、会社の中ではトップコンサルタントと呼ばれるような人だったと私は認識しています。(世の中的にもトップコンサルタントだった可能性もありますが、そこまで私も分からず、、)
この業界は、「残業してナンボ」という感じもあったのですが(近年薄れつつある)、特にその中でも働きに働いて、力をつけて、成果を出していた人のような印象を持っています。
体格は大きく怖そうな面持ちであるものの、人柄はいわゆる「楽しいことが好きな良い人」という感じで、部長でありながらおちゃらけて場を和ませてくれる人でもありました。
しかし、仕事になると人柄は一変します。
一緒に実務をした経験はないのですが、資料を見せにいくと眼光がとてつもなく鋭くなり、土木技術的な面での指摘から始まり日本語の指摘などもとてつもなく繊細で細かく、「ああ、これがプロのコンサルタントなんだ」という気持ちをいつも抱かせてくれる人でした。
私が辞める2年ほど前に私の部の部門長的なポストに着任し、その時は完全に手を動かさない人になっていました。
当時23時に電気が消えるシステムがあったため、私は毎日23時まで会社にいたのですが、その方は定時の17時過ぎに帰る、という感じでした。
「あれだけ技術力がある人が技術を生かす仕事ではなくマネジメントをしているというのはいかがなものか」と思いながら会社を出る大きな背中を見ていたことは今でも思い出されます。
私は退職し、その後5年ほど経ったかと思います。
亡くなる前に、その会社の別の人とオンラインで話す機会がありました。
今も部門長的な仕事をしている、そしてコロナを患うなど大変だった、という話を聞いたりしました。
そして、訃報が来ました。
思い出エピソード
技術者としてのキャリアを終わらせても良いのか?
当時私は思った疑問は何でも口に出す人間でした(当時というか今も)。
時に(良く)問題も起こしました。。
そんな私が、帰り際に「調子どうだ?」と言われた時なのか、飲みの席で近くになった時なのか、はたまた別の機会かは覚えていないですが、ある質問を投げかけたことがあります。
「○○さんは技術者をやらなくて楽しいのですか?技術者をやらずにマネジメントをする方が楽しいのですか?」
「資料などの添削を受けると、私なんかが言うのもおこがましいですが、『ああ、これがプロフェッショナルというものか』といつも思わされます。そこまでの技術力がありながら、その技術を最大限活用して世の中のためになる業務を自分の手でやる、ということの方が楽しいのではないですか?」
「そういうことよりも、会社に従って身分が上がっていくことの方が価値があるのですか?」
まあ失礼と言われればそうですが笑
これだけ書いておいてなんですが、あまり回答は覚えていません。笑
「お前にもいずれ分かる日が来る」的なことを言われた気がしています。
あれから5年以上は経ったと思います。
私は結局会社で上に上り詰めるよりも個人の力でやっていく道を選び、独立しました。
私は○○さんもそういう人生が向いているのではないかな、と勝手に思っていた。
実際その会社では、会社を辞めて個人でコンサルを立ち上げる人も何人かいました。
当然独立するにも、会社に残るにもそれぞれメリットやデメリットはあります。
○○さんがどう考え、どう判断して、行動していたのか。
いつか、私が独立してそれなりになったら酒の席で聞いてみたいな、なんて勝手に思っていました。
答えは永遠に分からないまま、になってしまいました。
出向を言い渡される
私は、1800時間/年残業という記録を打ち立てながら、成果があまり出ずに鳴かず飛ばずで転職活動をし、自分に目をかけてくれていた上司の計らいで期の途中で異動をしていました。
その次の期から、部門長的なポジションに○○さんが就きました。
この年は私が今でも尊敬してやまないある上司とほぼ二人三脚で仕事にコミットする、という私の人生にとって大きな転機を迎えた年でもありました。
この1年は死ぬほど働き、勉強しました。
残業規制のために23時〜6時まで電気が消える、ということで、週3くらいは5時〜23時で働いていました(朝は電気がなくてもなんとかなる)。
この業界は大体10〜20年目の人たちが業務を取る、そして若手が手を動かして業務を遂行する、という動きがあります。
が、私は4年目にしてこの「業務を取る」というのをやってのけようと、あらゆる取り組みをやっていました。
具体的にはプロポーザル提案などですね。
そんなこんなでバリバリ仕事をしていたせいか、会社の合同説明会で母校で話をしたり、大阪大学で講師をさせていただいたりと色々な経験をさせてもらっていました。
そんな中、会社で最大の名誉とも言える、ある国の機関への出向の話が私の元にやってきました。
その話をしてくれたのが、○○さんでした。
私は上司と二人三脚で、来年以降の業務も仕込みに仕込んでいて、「この上司と二人三脚ならめちゃくちゃ楽しい仕事が山のようにできる」と意気込んでいました。
しかし、会社的には私がその上司とべったり、というのを辞めて、別の「いかにも出世コース」といった上司の方に動かしたいというのもあったのではないかな?とか私は勝手に思っています。笑
出向を言い渡されて、「これ私は考える時間とかあるのですか?」と聞くと、「考えてもらっても良いが、基本的には確定事項である」的なことを言われた気がしています。
正直なところ、出向したら会社を辞めると思っていました。
キャリアには出向しただけで箔も付くし、自分が尊敬できる上司と仕事をしないのであればこの業界にいるメリットが無さすぎる、とも考えていました。
○○さんが、どういうつもりで私を出向者に指名したのだろうか。
会社から言われたからなのか、○○さんが考えたことなのか。
○○さんの考えは永遠に分からないまま、になってしまいました。
飲み会で揉める
当時私はイキっていました。前提として。笑
就職の合同説明会、母校で説明会に行くと、なんと全く生徒が来ない。笑
というのも、建設コンサルタントなんて私の母校卒の人が行く業界ではありません。
私の母校卒の土木系の人たちは、以下3種類に体感ちょうど3分割されます。
- 意識が低くまったりしたい人・土木に残りたい人
- キャリア・ホワイト業界(電力・ガス・鉄道などのインフラ会社)
- 意識が高い人・所謂ステータスが良いところに行きたい人
- スタートアップ・ベンチャー・総合商社・その他「所謂有名企業」
- 意識がない人(私)
- 無名の謎企業・バイト先で社員になる・失踪・行方不明
という感じなのですね。
なので、「意識が低くまったりしたい人・土木に残りたい人」は、うちのような業界には来ないのです。
そういう実態を見て、自分なりに考えて行動していました。
そんな中、○○さんと2人で、私の母校所属の大学生と飲みに行くことがありました。
そこで、○○さんは…
- 今時の若者は全くダメ
- 学歴が良ければ良いというものではない(○○さんは私からすると学歴はあまり…)
という話をし続けて、オイオイオイ何やってんだ!と思ってしまいました。
その後別の飲みの席で、私の何かがプツンといったようで。。
40〜60代の偉い方数名がいる場で、
「○○さん!あなたは採用の現場を知らない!今時の学生の中でうちの業界がどう認知されているか知っていますか?今時の若者がどう感じるか知っていますか?この業界・この会社をどうしていくために、何をすべきか考えていますか?」
などと捲し立てて、後でクソほど怒られました。笑
なお、怒られても私は未だにあまり反省はしていません。笑
私は考えて、行動していたのです。
有名大学で講師をして、学生のフォローアップをして、採用をしていたのです。
今思えば、私が一人で行動するよりも、○○さんのような能力も社内での地位もある人に動いてもらうように、何か違う動きをしていた方が良かったかもしれません。
もしくは、そういった上層部がいる以上はこの業界は変わらないと諦めていたのかもしれません。
あと、私は酒癖があまりよろしくない。笑
なので最近は酒の席では何もしない(ために飲み過ぎない)などの対応をしています。
私の酒癖の話に逸れてきていますが、そんなことがありました。
この時のことをいつか謝るべきなのか、とか考えなくもなかったですが、考える必要は無くなってしまいました。
故人の人生に対して(勝手に)思うこと
○○さんに対しては、3つ目の「飲み会で揉める」という件もあり、「心の底から盲目的に尊敬している!」という状態にはなっていなかったです。
ただ、本当に少ししか関われなかったのですが、技術提案などに関する時の細かな指摘や、何か質問した時に返ってくる答えなどから、土木技術者としてとてつもなく能力が高い人なんだろうな、と勝手に思っていました。
そういった人が、土木技術者からマネジメントする人に変わる。
それがその会社の通例ではあったのですが、それが本当にその人の人生にとって良いものなのか、とはずっと考えていました。
中には、技術力はあっても「働きたくない」といった人もいました。
そういう人は、マネージャーにでもなって、適当にやっていれば良いと思うのですよね。
ただ○○さんは違うように思えたのですよね。
- 本当は技術者として貫きたいものがある
- だけれども、会社人として貫けないものがある
この葛藤の中にいたのではないかなと思います。
私が飲み会で食ってかかった時なんて、私を圧倒的に論破して二度と口が聞けなくなるようにもできたのだろうな、とかも思うのです。でも、それをさせなかったのは「マネージャーとしての立場」だったのかもしれないなとも思うのです。
技術者として、
会社を支える人間として、
そして時には家族を支える人として、
一人の人間として、
本当のところどう考えて、どう行動されていたのか、
いつか、僕もそれなりの人間になった、そんなことが話せる時が来たら美しいな、なんて勝手に思っていました。
私もこういう人間なので言われたことを全て鵜呑みにすることはないと思います。
ただ、言われたことの中に「なるほど、そういう考えがあるのか」といった気付きを与えてくれそうな、そんな人なんだろうと勝手に思っていました。
そんな機会がもう二度とないなんて、流石に信じられない。考えられない。有り得ない。
そんなことがあって良いものなのか。
終わりに
本投稿は、あくまで私の主観にまみれています。
またいずれの記憶も数年前のものですし、正確ではないかもしれません。
考えてみると、もっと色々話を聞きたかったな、という気持ちが大きいです。
こうならないように、「いつでも会える」なんて思わずに思い立ったらすぐ行動しないとダメですね。
なかなか「それ」が難しいのですが。笑
もし、どこかで、当時の考えや判断などを聞かせてもらえる場があれば、その時は生意気言わずに聞きますので、色々お話を聞かせてもらえたら嬉しいです。
ご冥福をお祈りします。
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